とりとめないけれど

近見 竹彦

近見 竹彦
(顧問)

おしゃべり社長の多岐にわたる興味ごとをお伝えしていきます。日々の小さな気づきから仕事のダイナミズムまで、とりとめないけれどハッとする、そんなことがお話できればと思います。

遊者になりたい

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遊びは文化よりも古い。「ホモ・ファーベル」(作る人)よりも「ホモ・ルーデンス」(遊ぶ人)が先にある。われわれは元々がホモ・ルーデンスであるから、どんな文化についても、そこに遊びの要素を発見できれば、「文化とは何か」ということを解きほぐすことができる。われらはすべからく“遊者”なのだ。

これは、ご存じ、オランダの歴史家ヨハン・ホイジンガの「遊び」に関する基本的な考え方。私はかねてより、この“遊者”に憧れているのです。ですから、“遊者”に少しでも近づくべく、常に“遊び”を尊重しています。あ、こう書くと誤解されそうですが、もちろん仕事はきちんとやっていますよ。


サッカーの話ばかりで恐縮ですが、私は、小さいころからずっと、上手くなりたい、勝ちたいという一心で一生懸命サッカーの練習や試合に取り組んできました。プロでなくても、それはある種、競技者の道です。社会人になっても時間を作ったり、仲間たちと戦略を練ったりと、かなり無理をして大変な時期もありました。そしてある時、ハタと思ったのです。私は、いったい何のためにサッカーをやっているのだろう、と。別にサッカーをつきつめたいわけでもない、かといって仲間との交流を最重要視しているわけでもない。じゃあいったいなぜ…?

みなさん、もう答えはおわかりですね?

そう、サッカーをやっているのは、単に私が“遊びたい”からだったのです。

不思議なことに、そのことに気付いた瞬間、私の中を一筋の風が吹き抜けたように心軽やか、ますますサッカーや仲間との交流が楽しくなったのです。いつの間にか、勝つことや絆づくりみたいなことに一生懸命になりすぎていて、サッカーも仲間との交流も半ば義務化していたのかもしれません。それが、誰の何のためでもない、自分自身の“遊び”のためにやっている、とわかったとたん、私の心は解き放たれて、鼻歌が出るほど軽快な気分になったのでした。「遊びというのは、独特の軽やかさがなくてはならない。遊びには無垢なるリズムとハーモニーが宿っているのだ」という、ホイジンガの言葉通りだと感心してしまいました。


今では、サッカーはもちろん、俳句など、“遊者”になるために様々なことにトライ。このブログもそのひとつ。いや、まだブログは“遊び”の域には達してないかな。だって毎回、ネタをひねり出すのに苦労していて、なかなかリズムよく書き進められないんです。いけない、いけない、こんな風にグチっていたらますます遊者から遠ざかる…。

あぁ、遊者になりたい。