とりとめないけれど

近見 竹彦

近見 竹彦
(顧問)

おしゃべり社長の多岐にわたる興味ごとをお伝えしていきます。日々の小さな気づきから仕事のダイナミズムまで、とりとめないけれどハッとする、そんなことがお話できればと思います。

過剰反応の怖さ

印刷

SHARE

  • Facebook
  • Twitter
  • Tumblr
  • Linked In
  • Mail

Blog

最近、新聞やテレビ、ネットなどを見ていて思うことがあります。他人を責める時には、もっと慎重にすべきなのでは、と。かつ、その批判が、どれだけ多くの人に影響を及ぼすか、理性を持って量らねばならないのでは、と。今日はちょっと真面目モードで、私のもどかしい気持ちを書かせていただこうと思います。


近年ソーシャルメディアが発達して、誰もが世の中に向かって発言できるようになりました。昔から新聞の投書欄などはありましたが、ソーシャルメディアのアクセスの手軽さに較べたら、断然、今の方が発言しやすい環境が整っていると言えるでしょう。せっかく発言するのだから、より早く、より多くの人に聞いてほしい。そう思うのは人の性です。するとそこで提示競争が始まるわけです。よりセンセーショナルな言い方、うまい例え、世間受けする強い言葉。こういった提示競争によって起こる人々の辛辣な言葉の数々は、多くの人のバランスをもった判断に狂いを生じさせ、通常ではありえない選択肢を導いてしまうことがあると思うのです。もちろん、ジャーナリズムも同じです。いち早い、より大きな報道インパクトを狙うあまり、わずか2割に満たないことですら、それが100%かのように大きく取り上げる場合が散見されます。


報道やSNS上のエモーショナルで強すぎる主張は、ある空気感を生みます。すると、何の主張も持たない人はこの空気感に押されて過剰反応し、追従する。この空気感に合わない主張を持つ人は排除されて、示されるべき正確な知見や判断は埋もれていってしまうのです。そして、人々は、空気感に翻弄され、人・政策・物事に対するバランスある判断を狂わされてしまう…。こんな無茶苦茶なことはありません。たしなみある論調、政策イシュー、経済、社会を冷静に語るオピニオンの登場が待ち遠しくてたまらない今日この頃。テレビや新聞をみるにつけ、SNSを眺めるにつけ、もどかしくてなりません。すみません、今日の私、少し憤りすぎてますでしょうか…。