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太田 浩嗣

太田 浩嗣
(取締役常務執行役員)

日々新しいソリューションが生まれるマーケティングPRのダイナミズムを共有できればと思います。日々生涯最高のソリューションを!共に悩み、新しい価値創造にお付き合いください。

次代のラグビー界を変革できる男が逝った

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ミスターラグビーと呼ばれたスターが、早すぎる死で我々に別れを告げました。

平尾誠二さん享年53歳。そのニュースは突然日本中を駆け巡りました。

 

私が平尾誠二という男を認識したのは、今から36年前の花園ラグビー場での活躍でした。

私は彼とはラグビー同世代で、京都と東京と場所は違えど、一生懸命グラウンドを駆け回っていました。この年の花園大会は第60回の記念大会で、初めて各県1校の代表(※1)が出場することになりました。このころのラグビー人気は、南アフリカに勝利した昨年来の現在の状況には比べものにならないくらいの人気スポーツでした。以前にも小欄で紹介しましたが、当時の国立競技場の有料入場者数の記録は、大学ラグビーの早明戦(1982年)で、国立競技場がなくなった今となっては、決して破られることがありません。

※1 当時は、北海道、愛知は2校、大阪は3校の代表枠、東京は2校ですが、前年優勝校が無条件で出場できる制度があり、それを含めると3校が出場

 

後に、テレビドラマのモデルともなった、平尾氏の所属する伏見工業高ですが、赤いジャージの旋風はとどまるところを知らずに、決勝戦で関西対決となった大工大高(現在の常翔学園)を退け、初優勝を飾ったのです。その後、同志社大学で大学3連覇、神戸製鋼では7連覇と、優勝請負人の異名をとったほどでした。皆様方もその活躍はよくご存じのことと思います。

 

2019年の世界のひのき舞台を、その目で見ることなく彼は逝ってしまいました。まだまだ、ラグビー界を新しいステージに導くために、たくさんのことをしてほしかったのは言うまでもありませんが、何より本人が、もっとたくさんのことをしたかったことだろうと推察します。駆け抜けた太く短いラグビー人生でしたが、彼の功績は大きく称えられるものと確信しています。

謹んでご冥福をお祈りいたします。