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グローバルコンプライアンスにおける「リスクベース・アプローチ」への転換

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グローバルコンプライアンスにおける「リスクベース・アプローチ」への転換

企業不祥事の発覚など、企業の危機的状況を頻繁に目にしながらも、平常時から組織全体の問題を洗い出し、予防策を整備し、いざという時のために備えている日本企業はまだまだ少ないのではないだろうか。グローバル化に伴い、日本企業は国内の法律だけを意識していればよいという時代ではもはやなくなった。そのような中、世界でも最も厳しいといわれる英国の贈賄規制法が2011年4月に施行される見通しだ。英国でビジネスを展開する日本企業にもこの法律は適用されるため、企業は不祥事が発生しない時点で適切な予防策をとっておくことが不可欠となる。今回のグローバル・イシューレポートは、かつて法務省で数多くの危機管理広報対応の経験を持ち、海外での法律実務も豊富な絹川弁護士に、英国をはじめ欧州では一般的である「リスクベース・アプローチ」についてのレポートを執筆いただいた。

絹川健一

TMI総合法律事務所/Simmons and Simmons London 弁護士
(元法務省刑事局付検事)

1 リスクベース・アプローチ(Risk based approach)とは何か

リスクベース・アプローチとは、コンプライアンスの文脈で端的に言えば、
「組織のコンプライアンス・プログラムを策定するに当たり、各組織固有のリスクに着目して、そのリスクに応じた対策をとる」
ということである。言われてみれば、当たり前のようにすっと頭に入ると思う。筆者は現在、主として英国を拠点に活動しているが、英国においては、既にさまざまな場面で、当局が企業に対して正面からリスクベース・アプローチをとることを要求しているし、企業の方でもそれを当然のこととして受け入れ、粛々と対応している。

コンプライアンスと不祥事対応は密接な関係にある。では、リスクベース・アプローチを不祥事対応の文脈でとらえると、どのような位置付けになるのだろうか。以下では、このアプローチの考え方について理解するために、
「ある組織において、ある不祥事、それも、事業の核心部分に影響を与えるような、かなり深刻な不祥事が発生してしまった」
という事態を前提に、組織として、考えられる以下の3つのアプローチを説明する。これを通じて、リスクベース・アプローチの本質について浮き彫りにし、最後に、具体例を示しながら内容について説明する。

2 (アプローチその1)不祥事が発生しても、隠蔽、放置し、ごまかす

最も不適切な対応である。しかし、いまだに後を絶たない。なぜだろうか。

不祥事は常に責任問題に直結する。不祥事を起こした本人はもちろんのこと、その指導監督の責任を負っていた者、さらにその上司の責任問題にも発展する。不祥事が犯罪を構成することもある。自分が組織内で築き上げてきた地位や、家族のことも頭に浮かぶ。第一報を受ける直属の上司として、最初に頭に浮かぶのは、
「なんとか穏便に事を収められないか」
ということであろう。また、その報告を受ける上司も同様の発想を持つこともある。その上司が人事の最終レース間際にいる場合など、なおさらである。だから、当事者に近い立場にあればあるほど、最初のリアクションとして、とりあえず隠す、という動きをとることは、珍しいことではない。

「墓場まで持っていく」という言葉があるように、未来永劫、本当に事実を隠し通せるとしたら、このオプションは一見魅惑的であり、誤解を恐れずにあえて申しあげれば、時期と程度の差はあれ、かつては、多くの組織で、不祥事対応といえば、いかに表ざたにせずに事を収めるかに腐心することの方がむしろ一般であったと思う。

このオプションについては、本稿の主題とはややずれるが、読者の中には、部下から不祥事の第一報を受ける立場におられることも多いと思うので、さまざまな組織の実態を内外から見てきた経験から、以下のことをお伝えしておく。

自分以外の人間が知っている秘密は、もはや秘密とはいえない

人間の口は、元来、軽いものである。「墓場まで持って行く」などと調子の良いことを言っても、実際に秘密を守れる人などほとんどいない。人事に不満があったときや、上司と衝突したときなど、酒の力を借りて、一層口が軽くなるものである。そして、これが大事なことだが、今や情報は、インターネット上、個人レベルでいつでも自由に発信し、情報交換できる時代であり、こうした情報は多くのメディアからも注視されている。そして、もはやこの情報のダイナミズムを止めることは誰にもできない。自分以外の人が知っているのであれば、その情報はいずれ外部に出るものと想定しなければいけない。

自分の属する組織は、自分が思っているほど強靭ではない

秘密を守れる組織というのは、見方を変えれば、組織として強靭であるといえる。ところが、強靭さという観点から組織を見るとき、上層部から見える風景と、中間管理職以下から見える風景には大きな差があることがある。とりわけ、順風満帆で幸せな人生を送ってきた人や、日の当たる場所ばかりを歩き、人の尻拭いをしてこなかった人ほど、自己の属する組織の力を過信し、この点を見誤りがちである。

秘密が外部に漏れる最大の原因は、多くの組織にあっては人事上の不満にある。ということは、自分以外の人間が秘密を知っている場合、その秘密を完璧に守るためには、極端に言えば、秘密を共有する人物を一生、組織として面倒を見なければならなくなる、ということである。当然無理も生じる。たとえ人事処遇上ベストを尽くしたとしてもまったく別の不満要素で秘密が漏れる場合もある。当該人物が何らかの事情で組織を離れる可能性もある。

また、人は自分が思うほど、人望が厚くない。思わぬ人から恨まれたり妬まれたりすることは意外に多い。風向きが変われば悪評ばかりが言い立てられるものである。

責任問題の当事者は、判断を誤りがちである

報告を受けた者およびそのラインにある者は、不祥事の監督責任を負う立場にある。一般に、人間は、どんなに立派な人であっても、当事者として巻き込まれると、とたんに判断が鈍ったり、振れたりしがちである。多くの組織では、不祥事発生時に、調査の要否、処分の内容、公表の要否を判断するために、独立したセクションを設けたり、トップ直轄の問題としているが、これには、責任問題に巻き込まれることになる当事者だけで、判断させ、問題を処理することは適当でないという意味もある。

不祥事の第一報を受ける立場にある者として、「何とか穏便に」ということが頭によぎった場合には、まず、上記のことを念頭に置き、そのとき集められる限られた情報から、情勢を冷静に判断することが求められる。実際には、隠そうとしても時間の問題で明るみになる場合がほとんどであり、その場合には、不祥事本体に対する当事者の責任と監督者の責任に加えて、組織的に隠蔽したことに対する責任を上司が直接的に問われることとなる。世間の耳目を集める組織であればあるほど、テレビや新聞で「隠蔽」「放置」「無反省」の文字が躍り、組織のレピュテーションを大きく損なうことになる。

冷静に考えれば、「墓場まで持っていく」というオプションには、ほとんどの場合、合理性がないことが理解でき、第一報を受けたら、即時に、組織のしかるべき部署に情報をあげることが正解であることがわかるだろう。不祥事が深刻なものであればあるほど、できるだけ早い段階で、組織のトップレベルにあげ、組織として、客観的に次善策を検討してもらうことが必要である。上記の③に関連するが、私の経験上、賢明な人ほど、変に悪あがきしない。自分が直接・間接に当事者として巻き込まれた場合や、その可能性がある場合には、全てありのままを責任者に報告し、組織に下駄を預けてまな板の上の鯉になり、その判断に委ねている。そうすると、当人にとって、事態はそれ以上には悪化しないものである。
不祥事という危機に接し、こうしたことを理解して冷静に適切な行動ができない者には、たとえそれまでどれほど優秀な営業成績を上げてきたとしても、残念ながら、管理者としての適性には欠けるといわざるを得ない。

多くの組織では、程度の差こそあれ、過去の教訓から、隠蔽・放置はリスクが大きくそのオプションはとれないということは理解されていると思われる。それでも、組織としての理解と、個人の理解は異なる部分もある。海外で活動していると、隠蔽のリスクについて教訓を受けるべき時期にその情報に接することがなかったため、結果として、未だにこうした基本的発想を理解できない人も少なくないという声を耳にする。ずっと国内にいたとしても、こうした危機管理的な感覚を会得する機会が与えられぬまま、管理者の立場にさせられてしまう場合もある。また、貴重な過去の教訓も、時間の経過とともに忘れ去られ、軽んじられることもあろう。

もちろん、私が今回紹介しようとする「リスクベース・アプローチ」は、こうした隠蔽・放置という考え方とはおよそ相容れない。