中国 Report 03 四川省からの現地レポート
5月22日 様変わりした中国のシリコンバレー

綿陽市は中国最大のテレビメーカーの「長虹」等ハイテク企業が集中していることから中国の「西部シリコンバレー」とも言われているが今回の地震で大きく様変わりしてしまった。町中にテントが張ってあって10日間経った今でも怖くて家に戻らずに野宿している人が多い。
綿陽空港は震源地から一番近い空港で、軍用飛行機が数多く駐機し、成都空港とともに救援物資の輸送の中心的な機能を担っている。地元の新聞にも毎日のように各企業の義捐金、物資援助に関する情報が掲載され、義捐金のほかに、自動車メーカーは車、乳製品メーカーはパック牛乳、薬品メーカーは薬品と医療機械、飲料メーカーは飲料水、食品メーカーはハムやカップラーメンなど、 自ら製造するものを救援物資に出すケースが多い。
地元の企業は震災後にすぐに人、物、金の支援を行い、スピーディに対応できたことで一般生活者から評価された。例えばテレビメーカーの長虹の場合、地震発生の当日から、合わせて1000万元以上の義捐金、水など必須救援物資を提供するほか、救援隊を一番深刻な北川に派遣し、被災者を綿陽へ避難させるために、解放軍の救援部隊とともに、 100回以上危険地域と綿陽を往復し、被災者に「英雄」と呼ばれている。長虹はそれらの活動をホームページ上にも毎日掲載し、複数の地元紙、インターネット上からも賞賛を得た。空港や市内の製品の広告看板も「長虹はあなたと一緒に災難に立ち向かう」など、PR用に切り替え、社会貢献の面においては地元企業の中でも際立っている。
5月23日 避難所訪問(綿陽体育館)
消毒液の匂いが漂う避難所の入り口で、被災地の北川から避難してきた老婦人に話を聞いた。
今食べたり使ったりしているものはどの企業から支援されたものかわからないが、避難所にもテレビ、ラジオがあり、各地、企業などの援助状況も知っているという。「国に社会に支援されて感謝、感謝」、「でもやっぱり帰りたい、質素なものでもいいからお鍋で温かいものを作って食べたい」と言った。日本でも報道されたテント学校で配られたランドセルを大事に背負って帰郷のバスに乗り込んだ子供もいた。被災者が自力でできる手助けをすることが今後の支援活動の重要なポイントになると思われる。


電機メーカーのT社、C社など反応の早かった日系企業は欧米企業よりも評価されている模様。欧米系の反応の遅さと義捐金の少なさから、ネット上「お金儲けだけに興味があり、普段は社会貢献と叫ぶが本当の災難時に何も動かない」と一時批判が広がっていた。一方、「グローバル企業は本社で決めるまで時間がかかるからしかたない、金額で判断すべきでない」と冷静な意見もあった。
しかし、「買い物するならまず中国製、その次は欧米をやめて日本製にしよう」とネット上で呼び掛ける人もいた。極端な言い方かもしれないが、2005年の日本製品不買運動に比べ、今回の日本政府と日系企業の迅速な地震支援に対し好意的に評価する人が増えているのは事実のようだ。
5月24日消滅した工業重鎮でみたもの
漢旺鎮(町にあたる)は竜門山脈の麓にあり豊富な鉱産資源に恵まれ、中央政府直属の東風汽輪機工場の所在地で東北の重工業出身者が多く、四川にありながら約半分の人口が東北訛りのマンダリンを話す裕福な町で、「四川10大工業団地」の1つでもある。漢旺は震源地からわずか30キロしか離れていないため、今回の地震で数千人の死者を出し被害が最も大きい町の1つである。
震災後の漢旺は完全に姿が変わってしまった。5階建ての町庁舎が平地になり(写真左)、かつての繁華な商店街が様変わり(写真中央)、町で唯一完全な姿を残した入口の時計台は2時28分を指したままで、その右後ろにあったかつての鉱山の宿舎の姿が消えた(写真右)。救援活動や遺体処理など一段落し廃墟と化した町は、発掘機械の音以外は静かだった。



まだ余震が続いているものの、「子供たちが立ち直るには学校に行くのが一番」と関係者は口をそろえて言い、被災各地で抗災希望学校を立ち上げ始めたと言う。これからは物資の援助よりは使い方を決めた学校建設など資金的な支援のほうがより切実ではないかと感じた。
地震後、早速抗災希望学校を援助した企業のうち、米国トイレタリー企業の名もあった。複数の企業と一緒に中国青少年発展基金に支援し、5月18日地震後6日目に綿竹市遵導鎮で第1校の抗災希望学校を立ち上げた。これまでと同様、同社は中国でPRに力を入れていて、今回の地震における社会貢献も毎日のように企業のホームページで情報更新されている。



