うたかた思考

牧口 征弘

牧口 征弘
(代表取締役社長執行役員)

日々浮かんでは消えていく思いや考え。仕事の糧になるものもあれば、そうでないものも。
どう活かすかは自分次第なのかもしれません。

忘れることの意味

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 いきなりの真夏日です。つい先日まではまだ朝晩肌寒かったのですが、季節が急に変わってしまったようです。

 思えば、ここ最近は毎年こんな感じを繰り返しているような記憶があります。冬の後はすぐ夏、夏の後はまたすぐ冬。間にあるべきはずの春と秋の存在感が、ますます薄まってきているような印象を持たざるを得ないです。

 四季それぞれの良さがあるとはいえ、個人的には秋、春の順に好感を抱いています。何も秋生まれであることが影響しているわけではないでしょうが、暑さと寒さのピークの合間にある穏やかな季節、ということで、やはり秋と春に気持ちが傾きがちです。

 ところが、その二つの季節が後退気味です。実際、着る服にしても、春秋物の用が減っているような気がします。もし、暑いか寒いかの二者択一だったとしたら、果たして適応できるのでしょうか? 特に日本に暮らす我々にとって、ほぼ等分に訪れる四季の周期の中で、徐々に身体を慣らし、生活の仕様を調整するのが普通だったような気もします。また、その合間合間の春と秋で、厳しかった冬の寒さと、あり得ないほどの夏の暑さとを、適度に忘れることができたのも事実です。

 一説によると、どうやらこの「忘れる」ということが、人間の生存にとってかなり重要なことらしいです。例えば、つらいことや悲しいことをいつまでも克明に覚え続けているとしたら、そのストレスの積算に耐えられないというのです。確かに、歯根の神経治療のことを鮮明に思い出すような毎日は、勘弁してほしいです。

 ということで、四季折々の極限体験も都合よく忘れてくれるのが、私たちの脳です。冬の真っただ中には真夏の京都盆地で熱中症になりかけたことをすっかり忘れていますし、夏の最中には真冬のサッカー観戦で足先の感覚がなくなったこととか忘れ切っています。

 それでもまた、夏のピークはやって来ます。同様に、冬もしっかり控えています。この無限のサイクルの中で、私たち人間は鍛えられ続けているのかもしれません。忘却の効用に頼りつつ。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。